2006年12月13日

スタッフ紹介/プロデューサー編

いやはや、どうなるか分かりませんが
取りあえず第二弾です。

すでに撮影日誌に何度か登場済みのプロデューサー
中村さん編。

実は中村さんにとっても、今作がプロデューサーデビューです。
僕と知り合ったのは演出部としてでした。
nakamura2.jpg


名前:中村有孝(なかむら ありたか)

役職:プロデューサー

性別:男

プロフィール:

1969年5月7日 名古屋市内に生れる。
          小学校の頃から映画に溺れ、中学や高校では、
          しばしば映画を観てから登校した。
          中学で地元の社会人映画サークルに入会。
         「恋」だの「友情」だのソッチノケで、イベントや会報の編集
          などに精を出した。同世代の映画青年特有の「チラシやパンフ
          レットなどの収集癖」は、今も治らない。
          暗い暗い思春期を送るが、本人まるで自覚がなかった。

1990年3月   日本映画学校、不合格。途方に暮れる。
     4月   駒澤大学(たまたま引っ掛って、晴れて)入学。
          同大学の映画サークル8mm同好会に入会。多くの自主映画を製
          作、監督。(同期生・大森立嗣氏は、後に『ゲルマニウムの夜
          で、映画監督デビューを果たした)

1992年〜    他大学合同の学生映画祭の企画・運営を手掛ける。
          在学中、劇映画のエキストラ集め、学研の教育映画の助監督、
          Vシネマやテレビドラマの製作進行などを務める。

  93年ごろ   阪本順治監督に師事。
         (学生映画祭にゲスト出演してもらったことを契機に、
          『トカレフ』のエキストラ集めを手伝う。以後、阪本組に
          見習い参加。正式スタッフとしては、『ビリケン』から)

1994年3月   辛うじて大学卒業。

以降〜03年にかけ 劇映画の装飾部、製作部、演出部として、多くの映画製作に
         関わる。(製作部は生来の方向音痴がたたって早めに廃業)


  <関わった主な作品>

 V「どチンピラ・15・16(94)」(村田忍監督)
       …製作進行
 劇「ビリケン(96)」(阪本順治監督)
       …装飾助手
 劇「傷だらけの天使(97)」(阪本順治監督)
       …製作進行(仕上げつきましたが、「編」の字は抵抗有り)
 劇「CURE(97)」(黒沢清監督)
       …装飾助手
 劇「アンラッキー・モンキー(98)」(SABU監督)
       …監督助手
 劇「虹の岬(98)」(奥村正彦監督)
       …装飾助手・持道具
 劇「愚か者 傷だらけの天使(98)」(阪本順治監督)
       …監督助手(仕上げつきましたが、「編」の字は抵抗有り)
 劇「MONDAY(99)」(SABU監督)
       …監督助手
 V「東京爆弾(00)」(鈴木浩介監督)
       …監督助手 (WOWOW用ビデオ作品/小林氏と出会う)
 劇「木曜組曲(01)」(篠原哲雄監督)
       …監督助手
 V劇「女学生の友(01)」(篠原哲雄監督)
       …監督助手
 劇「Soundtrack (01)」(二階健監督)
       …監督助手
 劇「オー・ド・ヴィー(01)」(篠原哲雄監督)
       …監督助手
 劇「 (02)」(篠原哲雄監督)
       …監督助手
 劇「(02)」(奥原浩志監督)
       …助監督
 劇「昭和歌謡大全集(02)」(篠原哲雄監督)
       …監督助手
 V劇「隣のモンちゃん(02)」(前田哲監督)
       …監督助手
 劇「ニワトリはハダシだ(03)」(森崎東監督)
       …監督助手
 劇「Jam Films S / すべり台(03)」(アベ・ユーイチ監督)
       …助監督

※一応、うろ覚え乍ら( )内の年度は、撮影年。一般的な製作年度とは異なります。テレビ作品は一切割愛しました。
  (↑カッコ内は撮影された年/劇=劇場映画/V=Vシネ
/V劇=ビデオ撮り劇場公開作品/ネ=ネットドラマ
//脚=脚本打合せから合流/編=仕上げ作業につく)

   ……以上、自己紹介のページでした。

   ここからは、小林が書きます。

   いやぁ、色々やってますね。
   注目すべきエピソードとしては、やはり

   「日本映画学校受験失敗」が挙げられるでしょう。
   不合格を知らせる実家への電話で実の母に

   「そういう学校って落ちるの?」

   聞き返された苦い経験が、人間性を深めた…かどうかは知りません。
   聞く話によると、学科試験は映画マニアの中村氏にとっては「試験と名の付く
   もので過去に類を見ない程の簡単さ」だったため、ゆめ落ちるなどとは思って
   なかったそうです。原因を類推するに、やはり面接が拙かったのではないか、
   と自己分析してはりました。

    満点を確信し、合格するに違いないと自信満々で臨んだ面接でしたが、
   学長・今村昌平が御自ら出てこられたところから話の流れが変わってきます。
   初めのうち、質問は中村氏に合格確実を再確認させるものだったといいます。
   曰く「東京に来たら住む所の当てはあるのかな?」とか、
   「ご両親の了解は取れているの?」等といった、
   主に合格後の生活に関するものだったというのです。

   しかし、さすがというか何というか、敵を油断させておいて、
   最後に放った質問が、映画青年の運命を決めてしまったのです。


   「で、キミはどんな映画が好きなの?」


   合格確実と未来を思い描いている映画青年にカンヌ受賞監督が直々の質問です。
   喋らずにはいられなかったのでしょう。
   「内田吐夢監督の『飢餓海峡』です!」

   「その後、延々と喋っちゃったんだよねえ…いかに内田吐夢がすごいかって。
    あん時、『復讐するは我にありです!』って
   答えてたら通ってたかなぁ


   遠い目をして語る中村氏でしたが……いや、作品が何かっていうよりも、
   その語りぶりがヤバかったんじゃないでしょうかね、
   …学長の気持ちを類推すると。

   中村さんの素晴らしい所は、しかし、映画にかけるその情熱の深さ熱さです。
   阪本順治監督の「傷だらけの天使」では、製作進行としてつきながらも、
   編集ラッシュごとの全カット表を、毎回「個人的に」作り、
   映画が仕上げでどう変って行くかということを
   体感したり、自主映画製作で役者に駅のプラットフォームから線路に
   飛び降りさせたり、方言テープ作りで、地元の人たちを夜中の二時
   まで帰さなかったり、といった濃い逸話をいっぱい作ってます。

   こんなことを書いてますが、ちょい先輩なので、
   今回、後輩の僕をサポートすることについては
   いろいろ複雑な思いもあったと思います。
   前にも書きましたが、本当に今回、
   中村さんなしでは成立しませんでした。

   監督作も楽しみにしてます。早くホン書きましょうね。

   といいながら、今は、某老監督と新作を開発中。
   これからも、濃い濃い逸話を作り続けていってほしいです。


   今回はこれにて終了。


   次回はどうなるのでしょうか?誰にも分かりません。
posted by 小林聖太郎 at 02:57| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | しょうかい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
blogbanner_2.jpg
リンクフリーです。↑バナーもよかったらどうぞ
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。