朝、起きた時にこのことについて書こうとしたのですが、
なかなか筆が進まず…。
あの日、
突然、選択の余地もなく命を奪われた6000人を超える人たち。
どれだけ無念だったことでしょう。
救助体制や防災対策がもう少し、
ほんのもう少しだけでも整っていれば、
助かった人々もいたかもしれません。
僕自身は大阪にいたので
ちょっと揺られただけだったのですが
(といっても「マンション折れる」と思ったぐらい)、
地震の翌日から通ったり泊まったりで、
長田から西宮まで色々な人に会ったり、
話を聞いたり、時には怒鳴られたり、
喜んでもらったり…。
色んな経験をしました。
なかでも、
阪急が西宮北口まで運転再開した日の夜、
最終近い電車で梅田に着いたら、
スーツのサラリーマン達が泥酔して笑い合いながら
カラオケ屋から出てきた光景には打ちのめされました。
この世の中はほんとうに理不尽です。
あの朝、無念を思う間もなく亡くなった人。
この世に残さざるを得ないものを長い時間思いながら息絶えた人。
その瞬間は生き延びることができたのに、
絶望のあまり命を絶ってしまった人。
そんな人々と、
ロスの大地震の時に
「日本ではこのような橋梁の崩壊は《絶対に》起こらない」と、
傲岸にも言い切っていた学者や、
地震直後に「東京で同規模の地震が起きた場合の対策」などを、
得意気に披露していたナニガシや、
今も移住先の公団で被災者が孤独死してるというのに、
「復興」の旗印のもと、
意図のよく分からない空港作りを推進した有象無象たちと…
どちらにも平等に死が訪れるなんて
不平等です。不正義です。
でき得れば、
戦争や
天災や
人災や
差別や
虐殺などで
物言えずに亡くなっていった
古今東西の無念者を
せめて、
映画を作ることで弔うことができれば…。
そんな映画も作らねば。
ただし、頭でっかちにならず
あくまでも軽やかにしなやかに…。
なんて思ったのでした。
ううむ、明日になったら削除してるかも…。
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たとえば・・・
「長い散歩」は、綺麗にまとめすぎ。
雀々さんの日記と全く同じ感想。
私的には、「キャッチボール屋」の方が大賞。
神戸にもう一度見にいきたいです。
11年片思いの人を誘ってね。
その前に「テントin十三」で再会できればですが
ペコちゃんに祈りをささげます・・・。
本棚が倒れてきました。。。目覚まし時計がなければ、頭を直撃して
今、この世にはいなかったと思います。
道路をはさんだ向かいの家は、軒並み全壊でした。。。
12年も前のこと・・・いえ、まだ12年しか経っていないのです。
新聞やTVの震災特集を見ると涙があふれ、毎年体調を崩します。。。
決して忘れてはいけない出来事ですが、
そっとしておいてほしい…私のような神戸市民もたくさんいると思います。。。