さらに略したものです。
脱線しますと「キムタク」という呼び名が世間に出てきた時に、
お年を召した方々が
「日本語の乱れである。何でも略せばよいといふものではない!」と、
眉間に皺を寄せてはりましたが、日本語では割と昔から一般的です、
二音節ずつの略し方。
「エノケン」「シミキン」「バンツマ」「パリコレ」「抜か三」……。
確かに最近はちょっとやりすぎな感は否めませんがね。
「タンプレ」「シャーシン」「アケオメ」「ウイイレ」
「エンタメ」「アイルケ」……。
としょうむない雑談置いときまして、ロケハンです。
まずは、今回の企画をチラッと聞かされた時に、改めて十三を歩いてみました。
まだなぁ〜んにも話は決まってませんでした。
←質屋の看板。東京と逆で「し」が「ひ」になるんですね。
関係ないですが、和歌山ではメニューに「どうすい」と書いてあるそうです。雑炊…。
←十三駅・北から
そして、プロット作業の時に正式にシナリオハンティング。
しかし、この時もまだ、ゆかりちゃんや天道さんは出てきてません。
高校生カップルだけの話でした。
2月上旬でしたねぇ。もう1年になります。早いなぁ…。
←栄町・西から。ラディンが追かけ合いをする筈でした。
←淀川にかかる歩行者橋
←貧乏神神社…。ビンちゃん、こんなとこにいてたんやねぇ…うち、洗濯もん溜まったぁんねんけど…↓。
大分、今の話の骨格ができた頃には
東京でホン直し作業をしてました。
その間、製作部が準備稿をもとに
いろいろな場所を探しておいてくれるのです。
しかし、監督とメインスタッフが行かないと
最終的に決められない。
今回は、
いままで僕が助監督をやってきた作品とは
規模がだぁいぶ違うために、
いわゆるプロフェッショナルな映画スタッフは少なくて、
大阪を拠点にして自主映画畑で活動する人たちも
多く参加してくれていたのです。
実はそのこと(だけでもない)が、準備が進むにつれ、
ジワジワと色々な逸話を産んで行くことになるのでした…。
良い悪いではなく、やり方の違いというか…。
その話はまた次回……。
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