まる6年が経ちますね。
あの時、当時付き合ってた女の子の家に行ったら
テレビに映像が流れていて、
そのまま釘付けになりました。
複雑な気持に襲われました。
単純にテロの恐ろしさや
犯人集団に対する憎しみを感じるには
アメリカが自由の名のもとにしてきたことは
あまりに罪深かった。
もちろん、それで一般人数千人を虐殺した
罪が相殺される訳はありませんが、
イスラエルやアメリカ、そして「自由」経済社会が
アラブやパレスチナに対して、
そしてソマリアなどアフリカ諸国や、
ニカラグア、キューバなど中南米諸国に対して
行ってきたことを考えると……。軍事的にも経済的にも
正義とはほど遠い行いを重ねて来たことに
対し、充分な報道もなく
まるで、ある日突然、
悪魔のようなテロがいきなり起こって
何の理由もなくパレスチナの老女たちが
「アメリカがやられた、万歳!」と
喜んでるかのような映像だけを流しているのは
フェアではないと感じていたのです。
それからは
雪崩を打ったようにアメリカも他の国も
空気が変わりました。
子供の時
「なんで戦争になるのを止められへんかったんやろ?」と
疑問に思ってたのですが、
初めて、実感として分かったような気がしました。
僕の周りの戦争体験者(の一部)が
次のように言うのが
小学生の僕には不満だったのです。
「薄々は良くないと思ってたけど、
周りの空気がとても反対できるようなものではなかったから
言えなかった」
僕は大きくなったら「はだしのゲン」の
父ちゃんのように信念に従って
正しいと思ったことを主張し続けるのだ!
と思っていました。
果たして、今、あの時の凶気を目の当たりにした後
再び日本が戦争に踏み出そうとした時(すでに外堀は埋められつつある)に
僕は孤立して叩かれて踏みつけられて阻害され排除されたとしても
主張できるのだろうか?
戦争反対!
死ぬな!
殺すな!
第二次大戦中に脱走したイタリア兵の多くが
「愛した女のためには死ねるが国のために死ぬなんて!」と
言ってたとジョーク混じりに言われてますが、
そちらの方が、ものすごく真っ当だと思うのです。
主義主張、正義に理想、
思想や使命、誇りや義務や責任……
色んな大義が振り回されたとしても
戦争反対を唱え続けよう。
港のない街だけが非核宣言をするのではなく、
原子力空母の来る港でこそ非核宣言をしよう。
戦争に行くぐらいなら、戦争反対を唱えて非国民として殺されてやろう。
戦争で儲けるヤツらがいる限り、
家族を、友達を、故郷を守りたいという純粋な気持ちを
すり替えるヤツらに利用されないでいよう。
戦争は、残念だけどもたぶん無くならない。
でも同時に、絶対に無くすんだと信念を持って生き続けよう。
夜中に青く書き殴ってしまいました。
明日朝読み返すと恥ずかしくて消すかもしれません。
藪大統領の演説なんかを聞いたら
腹立ってまた書き足してしまうかもしれません。
とにかく今夜はお休みなさい。
ラベル:911
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ほんまにぼくらがしっかりせんと、あかんな。
せやけど、
ついつい日々を生きるので精一杯になってまうよねぇ