長らく更新滞ってしまい、ほんますいません。
まあ、なんだかんだありまして……。
って説明になってませんが、まあええか。
……ちゅうことで(どういうこと?)
お待たせしました。(誰も待ってへんか)
これにてダリオ編完結です。
さてさて早くもプラハ3日目。
朝……といっても11時ぐらいから行動開始。
ブラブラ歩いて
秘密警察の拘置所跡にあるという
「Unitas」というホステルを訪ねますが
いまだ改装中ということで泊まれませんでした。
しかし本物のパトカーが停まってる
今の警察の建物のすぐ裏って
ことは、今の警察は秘密警察をそのまま引き継いだんでしょうか?
とすると、いまだに当時の秘密警察の人らは
現警察でも働いてるのでしょうか?
革命を達成した直後は、理想に燃えてたり
権力を倒した興奮で、具体的にこれからどうするかが、
あいまいになってたりしても
現実的に新たな政府や経済を回していこうとすると
旧勢力の残党の手を借りずには済まないと思われるのですが、
(あるいは、ポル・ポトのように全員虐殺)
チェコでは、どう折り合いをつけてるんでしょうね。
一度じっくりと聞いてみたいものです。
お昼は
日本でもよく行くsegafredoでパニーニ(デカい)を食べて
午後は共産主義博物館へ。
定番のレーニンスターリン像があったり
プロパガンダポスターがあったりするのは
予想通りでしたが、
途中からは、共産主義博物館というよりも
革命博物館といった趣きで
「プラハの春」からビロード革命までの展示が
ありました。
なかでも館内のビデオに流されてる
ドキュメンタリー(英語字幕付)が
面白かったです。
ラストにデモを鎮圧する機動隊の映像に被り
岡林信康的な抵抗フォークソングがかかっていて
それがなかなかいい曲でした。
「神よ、ありがとう。
失敗をありがとう。
お陰で僕らは一生懸命働くことができた。
傷つけてくれてありがとう。
お陰で僕らは優しさを知ることができた(大意)」等など
皮肉の効いた歌詞とスラブ的な哀愁漂うメロディ。
帰り際に受付で曲名と歌手を聞き、
どこかでCDを買おうと決めました。
気づくと外は暗かったので、
また街を散策した後に
軽く夕飯を食べ
ダリオ君との待ち合わせ場所へ向かいます。この前の約束からメールを何度かやり取りし、
当初の予定のレゲエクラブ行きを変更し
アフリカンダンスのイベントに行くことにしてました。
約束のクラブの前に
ダリオ君と共に現れたのは
ジェニーさん。ケニアとイギリスのハーフで
ロンドンで育ったとのこと。
入口で350Kcを支払い
ケニアイタリア日本混成チームは
いざ会場へ。
「Ples! Afrika」はチェコ語で
「踊れアフリカ」だということですが、
ステージ上ではアフリカ風に髪を編み込んだ
チェコ人女性達が腰巻姿でアフリカンダンスを
一生懸命に踊ってます。
一生懸命ではあるのですが、
それがゆえに?
動きをなぞっている、という感じも拭えず
ボンヤリと見ていると、
中に一人
アフロなダンサーがキレのある踊りを
心から楽しそうに踊っていて、
それまで、ちょっとモヤモヤしていた心の痒い所を
キュキュッと掻いてくれたようでスッキリしました。
(↑当夜イチバンのダンサー。名前聞くの忘れました。しかも横向)
そうこうしていると、突然現れたのが
ジプシー(ロマ)音楽のバンド。
あれ?アフリカンダンスのイベントちゃうの?と
チラシを見ると、確かに「Multi Kulturni(たぶん多文化?)」と
書いてあります。
しかし会場は今まで以上に大盛り上がり!
さすが東中欧ではジプシー(ロマ)強し……
あるいは、このグループが有名なのか?
(ジプシーというのは「エジプトから来た者」という
間違った意味(ロマは北インド起源とされています)の上に
歴史的に差別語として使われてきたので
最近ではポリティカリーコレクトを意識して、彼ら自身の
自称「ロマ(人間)」を使うことが多くなっています。
因みにドイツ語ではZigeunerツィゴイナーです。
お気づきでしょうが、鈴木清順監督の映画のタイトルとしても有名な
サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン(本来はツィゴイナーヴァイゼン)」とは
「ジプシーのメロディー」という意味です。チェコ語ではCikániツィカーニ)
(←ダリオ&ジェニー&…)
ただ、アフリカを期待して来た我々は
ちょっと肩すかし。
「どうする?帰る?」
「いや、次の曲で他のアフリカ音楽グループに変わるんじゃない?」
というやり取りを繰り返すものの、
一向にBengasという名のグループは演奏を止めません。
もちろん、会場がそれを求めているからですが。
結局、2時頃まで粘って、
ベンガスがステージを降りるのを
見届けてから帰りました。
プラハは、路面電車とバスが終夜運転しているので
とても便利です。
でも、ちょっと待ってると、3人の誰からともなく
「歩く?」と徒歩で帰ることに。
当然、ダリオ君とジェニーは我がホステルから近い
同じアパートメントに住んでいるので
道は同じです。
喋りながら10分もすると、彼らのアパートの前に。
「ほな、またどこかで」
「写真送るよ」みたいな定番のやり取りがあって
我々は何事もなく別れました。
そんなんで、
ダリオ君、ホンマにええ人でした、
っちゅう結論です。
長々とかかって、それだけか!
とお怒りの方……
はい、それだけです。
あしからず……。
<プラハ編6(チェコ映画)>へ
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(毎度私ばかりコメントしてちっとはんズかし〜)
「秘密警察拘置所跡」もし泊まれたのならどんな気持ちになったのか知りたかったです。
ビロード革命・・・一滴の血も流さずなめらかに共産党が崩壊し人々に「自由」が戻ったけれど、革命前に秘密警察による理由無き逮捕(共産党が学者・作家・記者を危険視したようで)で苦しんだ人々はたくさんいたようで。(この作家らは命がけで作品を綴った)
自由の元に生まれ育った私は今の生活が本当にありがたいと、思います。
堅苦しくなってすみません・・・
アフロの似合う彼女、とてもキュートですね♪